僕はなぜここにいるのか?

時々考える。

今とはいつか?

こことはどこか?

そして、今見ているのはいつでどこか?

見ているものがわからなければ5Dという新しい遠近法の絵のセカイの中で存在が迷子になってしまう。

向かっている直線の方向がわからなくなる。無限大に広がる可能性という多世界のサムネイルとその仮説の精度は0へと降下していくだろう。

画家だから言うわけではないが、見ることは重要だ。ソースコードを見ていてもそう思う。

流れ続けるストリームの海の中でそう思う。