人はコードの中に生きている。コードはフローと呼ばれるもので分岐している。時に繰り返し、時に選択を迫り、時に分岐をする。それをすべて記憶している。フローとプログラムは似ている。いや、同じものかもしれない。


英語ですまないが、IF、WHILE、CASEなど、フローの数は少ないが。100%完全にひとつの物語で流れる小説とは違って、分岐をして未来はその分岐の数だけ枝分かれをしている。


無数に待ち受ける複数の可能性の未来の到達する未来のひとつを想像することはたやすくない。同時に未来を言い当てることはたやすいことではない。でも、それでいい。流れる今という点と分岐やフローで変化する線。


それを眺めているだけでも飽きることはなかった。人の数だけタイムラインは存在する。そして変化を与えるフローを含んだラインが人の数だけ存在して織りなす絵を見ているとその絵は生き物のように動き出す、同時に何か法則や規則性などというものが感じられる図形を表すことがあるが、それも錯覚であると思うようにしている。


三度、手術を受け、手術後に心臓が止まり、カーホームレスをしていて雪の日に凍死しそうになった。でも、まだ生きている。そして、まだ生き続けたいと思う。